カンプラ作曲 オペラ

『イドメネ』



全5幕

台本:アントワーヌ・ダンシェ

André CAMPRA1660-1744"Idoménée"

Livret d'Antoine Danchet - Version 1731


NAXOS MUSIC LIBLARY

プロローグ
(場面はアイオロスの洞窟。岩山に縛り付けられた神が、風の中に現れる。洞窟の彼方には、海が見えている)
Ouverture
 第1場
(アイオロスと風神たち)
 
合唱   逃れよ、この捕囚の身より。
  おお、この恐ろしき束縛と、不当な仕打ちから!
アイオロス   静まれ、怒るとて無駄なこと。怒りの神々を平伏させる偉業などあるのだろうか、
  そなたたちの王に服するのだ。
合唱   この捕囚の身より逃れるべし、
  我らに自由への道を示したまえ。
  陸にありても海にありても、
  この混沌に一矢を報いん。
 
アイオロス   静まれ、無益なる怒りを捨てよ。
合唱   おお、破滅への道!おお、無情の掟!
  捕われのこの身よ、自由への望みよ。
アイオロス   そなたたちの王に従うのだ。
(妙なる調べが耳に届き、ヴィナスが来たことを知らせる)
 
 第2場
(ヴィナス、アイオロス、北風の軍勢)
 
アイオロス 美しき楽の音が、北風どものざわめきを消し去ってくれた!
もう何も気にかけるものはない!
(ヴィナスを目にして)
おお、そなたはシテールの女王、ヴィナスではないか?
何と美しい!すべての者が、その美に酔い痴れよう!
喧騒と騒音のなかにあってさえ、そなたのいる場所は静けさと安らぎが支配している。
語りたまえ、何なりと。忠実なるこの魂は、従うことを潔しとしよう。何をお望みか?
いったい何のために、かくも暗き洞窟の中にまで参ったのか?
 
ヴィナス トロイの勝者はクレタの海から四方に船を出し、水面を切って進ませています。
北風に命じて海を暴れさせ、私の恨みをはらしてはくださいませんか。
アイオロス   お前の鎖を解いてやるぞ、さあ行け、獰猛な北風よ。
  行って、愛の神の願いを成就するのだ。
(北風が己を縛っていた鎖を投げ捨てる)
アイオロスとヴィナス   さあ行くのだ、飛んで、お前の力を見せつけるがよい。
  北風よ、新たな怒りで身を固めて。
(ヴィナスとアイオロスの命令を携え、北風が去ってゆく)
 
ヴィナス 我が命令に従う妖精ども、神々よ、この宮廷に集え。
お前たちの存在が、わが復讐の怒りに火をつけるならば。
  私は愛の悦びをお前たちにもたらそう。
  お前たちの母の声を聞くがよい、人間どもと神々の勝利者として。
  愛の神よ、さあ降りるのだ、この場所に。
  笑いと歓喜を導いて、己の魂を満たすのだ。
  さあ聞け、お前たちの母の声を、人間どもと神々の支配者の声を。
 
(愛神、恵み、歓喜、ヴィナスの眷属、海神たちがアイオロスの洞窟へとやって来て、踊り舞う)
 第3場
(アイオロス、ヴィナス、ヴィナスの眷属、愛神、恵みと歓喜)
 
Sarabande
合唱 Vénus et les Choeurs (ヴィーナスと合唱団)
  いざ歌え歓喜の歌を、
  そなたに首飾りを賜いし魅惑の神に向かいて。
  おお、その歓びの王国の何という美しさだろう!
  彼はおおいなる頂上を指し示す!
  それが歓びになるならば、苦しみもまた、我らの宝。
  いざ歌え歓喜の歌を、
  そなたに首飾りを賜いし魅惑の神に向かいて。
  おお、その歓びの王国の何という美しさだろう!
Air des Tritons (トリトンのエール)
 
ヴィナス   流れるに任せよ、河よ、汝の行く方へ、
  何がまわり道の理由があろう?
  いずれは大海へと至るものを。
  お前もまた、若き魂よ、甘き熱情から己を守るがよい。
  やがては愛に屈する日も来ることだろうが。
 
(舞曲が続く)
 
Menuet
 
合唱 Choeur des Graces (グレースの合唱)
  青春の美神よ、愛に恭順を示すが良い。
  若き日々を無駄にしてはいけない。
  西風はそぞろに渡りゆく、
  そうとも、愛の瞬きよりもゆっくりと。
 
Passepied
 
合唱 Tous les Choeurs
  永遠の勝利よ、力強き勝者を統べよ。
  愛よ、麗しき美神よ、全ての魂を魅せよ。
 
On reprend l'Ouverture
 
第1幕
(クレタ王の宮廷)
 
 第1場
(イリオーヌ一人で)
 
イリオーヌ   さあ、来なさい、栄光と誇りよ、
  わが心の内で戦うのです、
  お前を打ち倒そうとする愛と。
  ああ、お前は打ち負かされるまで待っているつもりなのか?
  私を守ることもせず、私に讒謗をあびせながら。
 
  さあ、来るのです、栄光と誇りよ、
  私の中で戦いなさい、
  お前に立ち向かってくる愛に対して。
イドメネは私に愛を語るけれど、それは無駄。フリギュアで、私は彼のことを拒んだのよ。
ああ!でも、もし相手が彼の息子だとしたら、こわくなってくるわ、この胸騒ぎは何なのかしら?
大洪水が、不遜なトロイの勝者たちの船を粉々にしてしまった。
私を囚われの身にした者どものなかに、ただ一人あの方がいる。
そのお方を許すというのは、その優しき王子が私に向ける想いに対抗するために、
つまりこの私の義務にとって、何かためになるのかしら?
あのお方にすれば、アガメムノンの娘よりも、プリアモスの娘のほうがお気に召すことでしょう!
この王宮で、エレクトラは私の嫉妬に堪えることになる……、
でも、残りの人生を苦しみのうちに過ごさねばならないとしたら?
そんな記憶など、さっさと消し去ってしまうでしょうね。

イダマンテがこっちに来るわ……あの方の存在が、私には苦しい。
栄光よ、誇りよ、来りてわれをまもりたまえ。
 第2場
(イダマンテ、イリオーヌ、イダマンテの衛兵たち)
 
イダマンテ (衛兵たちに向かって)
トロイの者たちを集めるのだ。祝いの準備をする。
(イリオーヌに向かって)
失意の後に甘き希望がやって来たのさ。ミネルヴァは、ギリシャの幸運のしるしだ。
猛り狂う洪水から、わが父上を救い出し、自らの船に戻してくれたのだからね。
アルバスがその吉報をもたらしてくれたのだ、父上の、威風堂々たる生還の様子を。
イリオーヌ ミネルヴァが陛下をお守りしたのですわ、何も驚くにはあたりません。
トロイの人々は、神々の怒りを枯渇させてしまったのね。
イダマンテ トロイの人々の運命を思い悩む必要はない。私もまた、父上同様に彼らに処するつもりだ。
天の神々は、父上とおなじく、あなたをこの岸まで運んでくれたのだから。
王女よ、トロイの人々の悲しみを終わらせるため、私は彼らを自由の身にしよう。
これからは、あなたのその美しさだけが、捕囚を堪えるべきただ一つのものとなる。
イリオーヌ 殿下、何をおっしゃるのでしょう?神々の怒りは、私の瞳を永遠の涙の伴侶としました。
故国の城壁が、その栄えある壁が、巨大な平板のようなものでしかなかったのは、神々の抜き難い敵意ゆえと思われますわ。
 
イダマンテ だからこそ、ヴィナスは勝利したギリシャを罰したのだ。
アガメムノンは、自らの祖国の懐で、己の名声に陰りが差し、己の世が終焉し行くのを見た。
この場所で、追放の身となったエレクトラは、彼の死に復讐することを望んでいる。
ヴィナスは止むことなく、我らを罰し続けるだろう。
彼女の無慈悲な性は、それだけでは満たされぬだろう。
この憎悪の女神を満足させることができるのは、あたなの瞳だけなのだ。
それは、彼女よりもさらに激しく、ギリシャ人たちがあなたに与えた苦患に報いるものだ。
イリオーヌ どういうことなの?
イダマンテ ヴィナスの息子は、未だ経験したことのないような苦しみで私を圧倒するのだ。
  戦いはあなたを不安で包み込み、
  あなたはとめどなく流した、涙を。
  愛の神は私を罰するのだ、あなたの美しさで、
  あなたを不幸にした罪のために。
私はあなたの怒りに火をつけた。
そしてあなたへの愛に後悔することになる。
 
イリオーヌ そんな不敵な言葉で私を怒らせるのね>
私に命を与えてくれたのが、誰だかお忘れになった?
 
イダマンテ   神々は私を卑しめる罪に加担した。
  私は神々の気まぐれの餌食ということか?
 
イリオーヌ おお、何ということを!
 
イダマンテ あなたのおっしゃることに従いましょう。
もし求められるならば、天国の光すら失いましょう。
ああ!もし私に死ねといわれるならば、
それは私があなたの瞳のなかに見ている以外のことを、あなたが口にしているということです。
(トロイの捕虜たちが連れて来られる)
イリオーヌ 私の間の前にいるのは、戦いの狂気から逃げて来た、不幸なトロイの人たちだわ。
 
イダマンテ かれらの鎖を解くこととしよう。そして彼らの恐怖も終わらせよう。
しかし、彼らのためになすそうしたことどもも、自分自身のためにすることは出来ない。
 
 第2場
(イダマンテ、イリオーヌ、クレタ人たち、トロイ人たち)
 
Marche
イダマンテ (トロイの人々に)
汝らの足枷を投げ捨てよ。そして我に従うのだ。
この地の民よ、二つの偉大なる民族の融和の日を永遠に銘記するが良い。
ヘレネーはアジア(トルコ)とギリシャを戦わせた。けれども今やそれも終わりとせねばならぬ。
すぐれて美しき王女が、二つの民を結びつけたのだから。
 
合唱   いざ歌え、いざ歌え彼女の勝利を。
  彼女こそ、死に至る争いを鎮めたる者。
  ただ愛のみが、その誉れのしるし。
  いざ歌え、かくも正統なる大勝利を。
(クレタとトロイの人々が歓び踊る)
 
Rondeau
 
クレタ人の乙女   この美のもとに投降せし、全ての者よ、
  魅惑されることなく、いったい誰が、その美貌を見つめ得るでしょう?
  常に彼女にいのちを与えたもう愛の神は、すべての者の心を捉える力を許したのです。
  その魅力は花のごとく我らを癒します。  
  なんと甘美なことでしょう!この美のもとに投降せし、全ての者よ…
  誰もがわれ先にと、その眼に叶おうとする、麗しき青春よ、常にそれを追い求め、 
  愛の神は我らを助けこそすれ、決して傷つけることはありません。
  この美のもとに投降せし、全ての者よ…
  
Air des Troyens (トロイア人のエール)
クレタ人の乙女   そうです、そうなのです、私たちを魅する愛なくして、二度と自由にまみえることはない。
  恋人たちは夢中になり、痛みの中にさえ悦びを味わう。そうです、二度と自由には…
  重く残酷な鎖に苦しむ者たちよ、尊大な態度をとるも良かろうが、 
  もし理性がお前たちを呼び戻すならば、その心は熱く応えようとするでしょう。
  そうです、二度と自由には…  
 
Gigue
  
 第4場
(エレクトル、イリオーヌ、イダマンテ)
  
エレクトル (イダマンテに向かって)
殿下、全ギリシャ人に対する不当な振る舞いですわ、ギリシャの敵を利するなど!
イダマンテ 王女よ、彼らが我らに服従する、それだけで十分ではないか。
彼らの幸せもまた、私にとっては重要なのだ。
 
 第5場
(アルバスが加わる)
イダマンテ アルバスではないか、戻っていたのか!どうして涙など流している?
 
アルバス 殿下、残念で、不幸なお知らせがございます…
 
イダマンテ まさか、陛下が亡くなられたのか!
 
アルバス 陛下の訃報です。異国の海岸で戦死されたと。
軍神マルスの力及ばず、無慈悲なる海神ネプチューンは、偉大なる英雄の命を終わらせました。
 
イダマンテ (イリオーヌに向かって)
私の心に襲い掛かってくるこの痛苦が見えるだろうか。
天はあなたの不幸の仕返しをしているのだ。
 
イリオーヌ アジア(トルコ)の不運と、私がかの英雄の死を悼む気持ちは別のものですわ。
 
 第6場
(エレクトル)
 
エレクトル 彼の父君はもういない!すべての者が私を陥れようとしている。
いまこそ、彼が望むように、王国を譲り渡すわ。
彼はイリオーヌを愛している、それは疑いのないことよ!
ああ!恐ろしい不安が心をかき乱す。
私にとって、ギリシャにとっては、トロイの捕囚たちは、そうなるに値する罪があるのよ。
そして、他の王たちの上に君臨する王の娘である私は、裏切者のせいで愛の無情を感じているのよ!
  怒りよ、お前の前に身を投げ出そう。
  炸裂し、飛び散るに任せよ、我が復讐のために。
愛は甘い幸せを約束してくれたわ、惑わされていた私が疑いもなく心委ねていた時には。
けれど、彼の酷い怒りの激しさを私は感じている。
怒りよ、お前の前に身を投げ出しましょう、この復讐のために!
せめてこの不運と嫉妬に迷うこの心を慰めるために。
怒りよ、お前の前に身を投げ出しましょう…
 
第2幕
(嵐の逆巻く海辺。背後には座礁し大破した数多の船。
夜の闇が全てを覆い、雷鳴がとどろき、稲妻が闇を裂く)
 
 第1場
(難破船の乗組員たちの合唱。声は聞こえるが姿は見えない)
合唱   おお神よ!我らが神よ!救いたまえ!
  風も海も、空もまた、私たちの命を狙っている!
 
 第2場
(ネプチューンが海中から姿を現す)
ネプチューン   海よ、鎮まれ、
  風よ、嵐よ、やめよ!
  海底の巣へと戻るのだ、
  このネプチューンの命令に従って!
 
(嵐が和らぎ、イドメネと配下の兵士たちが現れる)
(イドメネに向かって)
大波も大嵐も、もう恐れることはない。
但し、岸へと至りついたあかつきには、その感謝のしるしとして捧げものをすることを約せ。
 
(ネプチューンが海中へと姿を消す。嵐の後に光が差し込み、あたりが静かになってゆく)
 第3場
(イドメネとアルカス)
 
アルカス この水面にも平和が戻りました。
イドメネ 悲しいかな、その平和も、余の心には至らぬ。
アルカス 未だ何者が、イドメネ様のお心を患わすのでしょうか?
全てが良い方へと向かっているではありませんか。
イドメネ 我が聖なる故郷よ、いま再び、余を守りたまえ。
永き不在の後に、お前を恐怖と慄きを以て眺めなければならぬとは?
アルカス 何をおしゃっているのです?陛下。
イドメネ 難局の憂き目のなか、我らは九死に一生を得た。
その時、余は心に誓ったのだ。
それは思慮を欠いた約束に違いなかったが、後悔したときにはもう遅かった。
もし、ネプチューンが嵐を鎮めてくれたなら、余が岸にたどり着いた時、
最初に出迎えた者を、生贄として捧げると誓ったのだから。
余は無垢の者の血で、この手を染めねばならぬのか?
(イドメネは難破船の間をぬって、舞台の奥へ消える)
 
 第4場
(イダマンテとイドメネ)
 
イダマンテ   〔独白:わが嘆きを聞け、
  孤独の海辺よ、静けき大岩よ、
  私は孤独を探し求め、こうしてここにいる。
  我が苦しみの祖国に、
  お前の悲しみの何とふさわしいことだろうか〕
(彼はイドメネの方を見やる)
おびただしき難破船の群れのなかに、見知らぬ戦士が海辺を彷徨うのが見える!
彼の苦しみを終わらせてあげよう。どうしてこんなところにいるのか。
(イドメネに向かって)
誇り高き戦士よ、憂うことはもうない。私が救いの手を差し伸べよう。
 
イドメネ 〔独白:彼の姿を見る程に、心に安心が芽生えてくる!〕
(イダマンテに向かって)
私を助けて何の得がある?
 
イダマンテ   あなたを援けるというささやかな喜びが、
  私の心を満たしてくれるのです。
  私の被った苦しみが、
  悩める者を救うことの素晴らしさを教えてくれるのです。
武勲に誉れ高き、敵に恐れられた王は、
その宮殿で、恐怖を打ち消してくれた神々と、
天界の愛すべき者たちを崇めています。
 
イドメネ 〔独白:おお、何という驚きだろうか!〕
 
イダマンテ イドメネは怒涛のうちに沈んでしまった……、それにしても?
この涙、そしてため息。この英雄はいったい誰なのか?
 
イドメネ おお、およそ命ある者のなかで、そなたこそ最も憐れむべき者。
もう誰も、そなたの命運を変えることは出来ない。
 
イダマンテ 何をおっしゃっているのです?まさか、亡霊ではあるまいに?
イドメネ そなたに対する哀れみが、こうも込み上げてこようとは?
 
イダマンテ せめて、イドメネに、この思いの丈を見せることが出来ていたら!
尊敬すべきギリシャ、その偉業の知らせが、私の命を奮い立たせてくれていた。
おお、トロイの戦場で勝利に向かって突き進んでいた時に、
せめてその雄姿に、誇り高き死を見ることが叶い、
そこに力を貸すことが出来ていたなら!
 
イドメネ 〔独白:何という勇気だろう!
偉大なる神々よ、何故にあなたがたは、
この素晴らしい青年に、栄光と輝きとを以て、
栄誉を授けようとはなさらないのか?〕
(イダマンテに向かって)
あなたの話しを耳にすると、どうしてこうも辛くなるのだろうか?
 
イダマンテ いったいどうしてでしょう?悲しみが私の心を捉えて、涙が止まらないのです…
 
イドメネ どうしてこの私が、そなたを苦しめるのであろう?
もはや支配者ではないこの私の、また違った思いが、内なる恐れが私を打ちのめす。
あなたが誰なのか、知らないままで良いのだろうか?
  
イダマンテ おお!
イドメネ 誰なのか、教えてほしい……
イダマンテ 私は彼の息子です。
 
イドメネ 息子だと?おお、運命は無慈悲だ!神は残酷だ!
 
イダマンテ 私と同じように、彼の運命を悲しんでいらっしゃるのですね?
あなたを打ちのめすその悲嘆の渕のなかで、どうか、
私が愛する英雄の最期がいかなるものであったか、
教えてくださいませんか?
 
イドメネ イダマンテよ!
イダマンテ 何と言われました?
 
イドメネ おお、何たること、どうしてお前が私の前に現れたのだ?
しかも、かくも愛しき思いやりの心をもって。
不幸なる者、私は、苦々しき喜びを以てしか、お前を見ることが出来ぬ!
イダマンテ 私の名をご存知とは!驚きです!その謎をお教えくださいませんか?
 
イドメネ 我が息子よ、お前は、苦悩と恐怖のなかにある父とまみえたのだ。
イダマンテ もう疑いようがありません。再会を果たすことが出来たのですね!
心に任せて、父上をこの腕に抱かせて頂くことをお許しください。
……何故なのです?どうして私を避けようとなさるのですか?
 
イドメネ 余の後を追ってはならぬ。どうして余と逢ってしまったのか?二度と余の前に現れてはならぬ!
(イドメネが去る)
 
イダマンテ どうしてなのか?私の何がいけなかったのか?
父上の後を追おう。そして、この理不尽の理由をしらなければ。
 
 第5場
(エレクトル一人で)
エレクトル あのお方は私のもとを去ってしまった。残酷な人!
私の愛を踏みにじって!
いいえ、それだけではないわ。
もしあの方が他の人を愛していることを知らなければ、私はまだ幸せだった。
  愛など知らぬ心であったなら、
  たやすき愁いにも気持ちが塞ぐもの。
  何と難しいことなのか。
  思い煩いから心を解き放つのは。
執念深きヴィナスよ、かくも無慈悲な女神よ、
お前の業火で全てのギリシャ人を罰するつもりならば、
我が秘密の責め道具を以て、彼に痛みを与えよ。
復讐の力の限りを尽くして、私がそうしたように、
彼に私の愛を悟らせ、投げた槍の痛みを味わわせ、
そして永遠に、希望のもとから葬ってほしいのだ。
 
 第6場
(車に乗ったヴィナス、エレクトル)
 
エレクトル 女神のお出ましだわ、おお、愛の女神よ、そなたの力に我は頼む。
あの男の胸に、復讐の一撃を。けれど、彼の命だけは奪わないでほしい。
ヴィナス 私に逆らう愛を、思い通りにさせはしない。
この場に私を一人にさせよ。
お前の復讐の執念は、神々の意に叶うものだ。
(ヴィナスが車から降りて来る)
 
 第7場
(ヴィナス)
  
ヴィナス   汝、分け隔つこと能わぬ優しき愛の伴侶よ、
  お前は甘き悦びを苦しみに変える。
  狂える嫉妬よ、さあ急いで、猛き毒を以て自らを整えよ。
  数多の矢を手に取れ、
  その力は血の絆、自然の絆を毀ち、
  その矢は思慮と分別の息の根を止め、
  心の義務を抹殺するのだ。
(第一段を繰り返し)
 
 第8場
(ヴィナス、嫉妬、嫉妬の眷属たち)
 
嫉妬   あなた様の召喚により、参りました。
  我らに命を与えるは愛。
  あなた様は我らを自在に操る。
  すでに我ら、心得は出来ておりますぞ。
 
ヴィナス   私の怒りを満足させよ。
  用意はできているか、整っているか、
  汝らの、狂おしき一撃の。
 
合唱   我らの残忍さを呼び覚まし、
  毒蛇に覚醒を与え、松明に火を灯そう。
  我らの毒を、お高くとまった愛とやらに注ぎ込み、
  そいつを怒りの化身に変えてやるのさ。
(嫉妬の眷属たちの踊り)
Premier Air
嫉妬   私が再び火をつけた、一度は死んだ愛よ。
  私は無垢の心をかき乱す。
  この手がその心をつかんだなら、
  すべては私の意のままだ。
  嫉妬の矢に射ぬかれ、誰もが振り出しにと戻される。
  魂がこの手中に落ちるとも、罪はそれを止めることは出来ぬ。
 
(嫉妬の眷属たちの踊り)
 
Deuxième Air
合唱   疑念を、驚愕を、常に汝の伴侶となせ。
  血と涙のなかに、我らは甘き魅惑を見出す。
 
ヴィナス   イドメネの心に恐怖を駆り立てよ、
  その一人息子に対する、怒りの火を呼び覚まさせよ。
 
第3幕
(キュドニア=クレタの港にて。停泊中の船が見える)
 第1場
(イドメネとアルカス)
 
イドメネ 余の怒りを咎めるな。
望まぬ心配で、再びこの私に、悲惨な光景を見せた悪の力に対して、怒らずにいろと?
残酷なる神よ、お前はこの嵐を追い払うことが出来るのか?
アルカス おお!どうぞお苦しみにならないでください。
イドメネ 難破船から余を救い出すとき、お前は恐るべき申し出をした。
アルカス 神よ、怒りを収めたまえ。
イドメネ その横暴ぶりはどうだろうか。我らを苦しめた苦難の後になした、あの無頓着なる誓約。
神は我らの弱さを目の当たりにしてほくそ笑んでいるだろう。
わが息子よ……、おお!恐れなくしては声には出せぬ、お前を生贄に差し出すなどと。
いや、余を動揺させる怒りのうちにあっても、余は必ずそれを打ち負かそう。
たとえ怒れる神の邪魔立てをすることになろうとも、他の神々が結束して、余の命をねらってこようとも!
そして、天の高みから、余は目撃者に呼びかけるのだ、雷よ撃て、余を罰するが良い、と…。
だが、いったいいかなる業火が余を呑み込もうおしているのであろう?
恐怖なくして余は知ることが出来ぬ、我が息子が、余の畏れる女神の枷を打ち壊したことを。
息子は彼女と恋に落ちたというのか。
ならば去れ、嫉妬深き疑惑よ、無残な陰影よ。
アルカス ご子息を、この海岸から引き離すことは出来るのでは。
イドメネ 余の心の平安を保つ唯一の方法だ。
それでは、彼の勇気に頼んで、エレクトルとアルゴスへ行かせるとしよう。
そなたの忠実な心はよく知っている。余が恐れている危険が、謎を隠してくれるだろう。
行って、すぐに彼を旅立たせてくれ。さあ、早く準備を。
イリオーヌがやって来るのが見えるぞ…、ここから立ち去らねば…、だが何故動けぬ?
天よ!おそらく、余は自らの知らざるべきものを探し求めているのだ。
 第2場
(イリオーヌとイドメネ)
イドメネ 余は羨ましいのだ、そなたを自由たらしめた栄誉を得た者が。
勝利が余のものとなっていれば、幸せであったろうに。
余は幸福な帰還を望んでいた。幾たびもの危険の後に、余は新たな恐慌に直面した。
ああ!それは神々の怒りのゆえとは言えぬ。
今ここで、そなたの美しさに対して、心から賞賛することが出来たなら、どんなにか素晴らしいことであろう!
 
イリオーヌ ああ!あなたが私にもたらしてくれた栄誉とは何でしょう?
あなたが私になさったことを忘れたのですか?
トロイで、狂気の者どものなかへ、阿鼻叫喚と涙のなかへ、救けを乞い願った神々のなかへと、私を引き入れたのです。
私はあなたが剣と炎を携えているのを知っていました。
こんな恐ろしい目に遭ってまで、愛の神は私の魂にあなたを刻み込まねばならないのでしょうか?
イドメネ   そんなに気を悪くしないでおくれ。
  余がどうかしていたのだ。
  天の神々は、だから私に罰を与えた。
  ああ、あなたは悪意を以て余を苛み、悩み苦しみを強めたいと願うのか?
イリオーヌ 誰がかつての私の不幸の後始末をしてくれるのでしょう?
イドメネ 残酷なる人よ、あなたが思っている以上に、余はあなたのことがわかっているぞ。
  あなたが余との結婚を拒んだとき、
  余にはわかっていたのだ、あなたの心のうちが。
  それは余に対する嫌悪ではなく、他の者に向けられた密かな愛だったと。
イリオーヌ とんでもないご冗談を!
イドメネ 向う見ずにも、余の息子はあなたの眼を欺いたのだ。
じきに、彼はただの哀れな男に過ぎなくなるだろう。
そんなに死に急ぐ事はないのに、不幸のただ中で、彼は恐怖に晒されることになろう。
あなたは彼を余の敵にしたいというのだろうか?
イリオーヌ いいえ、そんなふうに思わないでください。私の心が揺らぐことはない。
イドメネ 震えているではないか?…彼のことを愛しているのであろう?
イリオーヌ 私が震えているのは、あなたが考えている恐ろしい計画のせいですわ。
イドメネとイリオーヌ   震えよ、慄け、恐れるがよい、
  お前が怒らせた、天界の王の復讐を。
イリオーヌ   長き時を経て集められた、神々の怒りが、
  今こそ猛り狂い、炸裂するわ。
イドメネ   お前がこの愛を拒むほどに、
  彼はますます残酷になるだろう。
 
イドメネとイリオーヌ (最初のフレーズを繰り返し)
イリオーヌ ためらっていないでその一撃を放てばいいわ。
あなたが手を染めたすべての恥ずべき行いの後で、
なお野蛮な怒りが収まらないなら、あとはあなたの息子が生贄になるだけよ。
 
 第3場
(イドメネ)
イドメネ 息子が生贄に…!悩ましいその言葉が、余の胸に突き刺さる!
お前から耳にしたこととは違い、嫉妬にまみれた恨みが、不名誉な炎を燃やす。
余の息子の運もこれまでか。神々のせいで。
だが、愛はそれを余の過ちのせいにした。
彼を失うどころか、余を焚きつけたその熱情が、彼に命を与えるのだ。
  もうお前の残酷な力も余には及ばぬ。
  愛よ、お前に付き従うことはない。
  おお!余が憎むことの出来ぬ敵に退位してこそ、
  復讐の思いを向けることが必要なのだ!
エレクトルが来るぞ。混乱のただ中だが、彼女をこの岸辺から遠ざけなければ。
まずは落ち着きを取り戻し、……だが、その試みを嘲笑うかのような、恐怖を覚える。
海神、愛に、そして自分自身に対して。
  
 第4場
(エレクトル、イドメネ)
 
エレクトル あなたの人徳のなせるところね、アルカスから聞きましたわ。
本当はあなたの親切を疑っていたのだけれど、なんと感謝すればよいでしょう?
あなたを通じて、不従順な者たちが罰せられるところを、もうすぐ見ることができるかも知れない。
イドメネ 余の息子はそなたの保護を得ることになろう。
そして余は、彼がそなたの望みを実現するように説得しよう。
 第5場
(エレクトル)
 
エレクトル   この悦びの何と甘きことかしら!
  そうよ、何ものにも劣らない悦びとともに、
  私はこの場を立ち去りましょう!
  あの方を恋敵の目の届かぬ場所へと誘えるならば、
  私の愛は成就するのだから。
(最初のフレーズを繰り返し)
 第6場
(エレクトル、アルゴス人の集団、クレタ人と船乗りたち、歌と踊り)
 
Simphonie
エレクトル せっかちなアルゴス人たちだわ。
こんなやかましい場所に上陸させるなんて。
さあ、喜び、希望とともに私の期待は満たされる。
あの苦しみゆえに、あなたを許すことにいたしましょう。
 
Marche
 
合唱   さあ船出だ、旅立ちだ、ものみな全てが、我らの希望を成就する。
  もう風の唸りも聞こえない、穏やかな潮の流れは、
  我らを幸せな旅路へと誘う。
 
Air des Matelots (船乗りたちのエール)
エレクトル   来たれ、我らの望みに応えよ、
  吹き渡れ、幸せを運ぶ西風よ、
  広き大海原を静め、
  ただこの吐息の音だけが我らの行く手を示す。
  お前の愛のしるしが、ただ心地よき絆をもたらす。
(最初の二行のフレーズの繰り返し)
 
Premièr et Deuxième rigaudons
 
エレクトル   愛すべき希望よ、
  全ての者の心を満たすのだ、
  お前は優しき炎の不易の姿なのだから。
  愛の神が飛翔するとき、
  お前は彼の心を魅する。
  その声は彼に平和をもたらし、
  癒しとなるのだ。
(第一段3行の繰り返し)
 
  お前の美しさは、
  人が夢の中に探し求めてきたものと同じく、 
  価値のある、魅力的な賜物だ。
(第一段3行の繰り返し)
Le Divertissement continuë
Air pour les Matelots (船乗りたちのためのエール)
 
 第7場
(イドメネ、イダマンテ、エレクトルが加わる)
 
イドメネ (イダマンテに)
行け、ここから立ち去れ。
 
イダマンテ 〔独白:ああ、どうしてなのだ!〕
イドメネ お前はここにながくいすぎた。勇敢なる行いを以て、名を上げるのだ。
いかに統治すべきかを学び、不運な人々の寄るべとなることを志せ。
 
(イドメネはイダマンテをアスゴスに出発させようとする。
その時、恐ろしい轟音とともに、海がうねり、風が嵐を呼ぶ)
 
合唱   何の音だ!今度は何が起こるのか!
  怒れるプロテウスが海から姿を現したぞ!
プロテー   私は海へと通じる途をすべて封じるために来た。
  不実なる王よ、神々の怒りを畏れよ。
  嵐よ、巻き起これ、
  妖獣よ、恐怖をまき散らせ。
  そしてこの海辺を支配するのだ。
(怪物が海の中から姿を現す)
 
合唱   おお!憎悪のかたまりよ!怒りよ!
  ネプチューンよ、我らの如何なる罪が、
  お前をかくも怒らせるのか?
 
イドメネ   残念だが、残酷なる神よ、
  お前の怒りは私への罰あってこそだ。
  もし私の死を望むというなら、
  私はそれを受け入れよう。
  だがしかし、私に罪の償いをさせるために、
  お前が別の生贄を求めるというのなら、
  私がそれを差し出すことはあり得ない。
 
第4幕
第1場
(イリオーヌ)
イリオーヌ   痛みとともにある幸せよ、復讐の楽しみよ、
  この苦しみを和らげておくれ。
  私を縛り、虐げる野蛮な敵よ、
  天の怒りの激しさを味わうが良い。
(前段2行のフレーズを繰り返し)
ネプチューンに扇動された怪物が、じき岸に上がり、私の不運の仇をとってくれるわ。
恐怖と戦慄を、あの化け物は連れてくるのよ。
この浜辺を血にまみれた屍で埋め尽くし、炎のひと吐きで、全てを焼き尽くすのだわ。
私はどうしてしまったのかしら?この心が恐怖でふるえている!
誰のせい?ああ、全ギリシャ国民に迎え入れられたイダマンテが、私の怒りを静めてくれたのに。
彼はすべての苦悩から、この国を解放することを望んでいるわ。…
やめて、愛する人よ、あなたの勇気は何を求めているの?
まるで死に場所を探し求めているようだわ。
私はあなたの行く末が恐い。
海神よ、どうか彼の命を奪わないで。
このイリオーヌも、相応の覚悟を以て、復讐を諦めます。
 第2場
(イリオーヌとイダマンテ)
 
イダマンテ 王女よ、私は今一度、あなたの眼に勇敢なるこの姿をお見せいたしましょう。
あなたは、もう最愛の恋人を見ることはありません。
何故なら、私はあなたの愛を失ったのですから。
私の傷が癒されることがあるとすれば、それはこの愛の終わりによってなのです。
 
イリオーヌ あなたなの?
イダマンテ   もし私があなたを更に愛することがお気に召さぬなら、
  私の罪はますます深まっていくことだろう。
  あなたが復讐をそれ以上延ばせないくらいまでに。
イリオーヌ 何故、そうまでして死に急ぐの?
イダマンテ 定かならぬ苦痛に誘われて、王は私のもとから去り、
理由もわからぬまま、私は取り残されました。
あなたとの絆、あなたの憎しみは、私を新たな苦しみに遭わせました。
あの恐ろしい怪物が、この海辺のあちらこちらで、
我が憐れなる国民を苦しめています。
私はそこに戦いを挑もうというのです。
あるいはむしろ、そいつを唆して私の命を奪わせ、
私をさらに痛めつけるように仕向けよう。
 
イリオーヌ そんなことを言わないで。
あなたはこの国の唯一の希望なのよ。
 
イダマンテ あなたを愛し、見つめることが叶わぬというなら、もう私には生きている意味などないんだ。
 
イリオーヌ 〔独白:何を言ってもだめなのね!〕
(イダマンテに)自棄を起こしてはいけないわ。
 
イダマンテ 私はこの不幸を終わらせなければならないんだ。
 
イリオーヌ 生きて頂戴。どうかお願いよ。
 
イダマンテ 本心からなのか?愛する人よ!
 
イリオーヌ 私の考えをよそに、この苦しみがあなたに私の気弱さを気づかせてしまいました。
あなたが死を望むだなんて、あまりに悲しいのです。
たとえ、私が優しい愛を感じられないとしても。
 
イダマンテ それが、あなたの本当の気持ちなのか?
私のあなたへの気持ちは変わらぬが、
更に、その夢のような言葉でこの心を有頂天にさせるのか?
イリオーヌ ああ、でももし私がこの想いの丈をあなたに隠すことが出来ていれば!
千の後悔が私の心を苛みます!
名誉、いやいやながらの義務、祖国の思い出、
嘆き悲しむ先祖の血は雄叫びを上げ、
すべては私のこの夢ゆえに私を咎めたてる。
でも、あなたがとても危険な状況にいることを知った以上、
私はそこからあなたを逃れさせなければならないの。
  私はもう一度言いましょう、王子よ、あなたを愛していると。
  私にはわかるのです、あなたが死に行こうとする理由が、私にあることが。
 
イダマンテ   この鎖の重みすら、喜びに思える!
  ため息がこんなにも愛おしいとは!
  今感じているこの幸せに比すれば、
  受けた苦しみなど何ほどでもない。
イリオーヌ 私のこの愛があなたに何の利益をもたらすのかしら?
あなたが死に向かう運命にあるというときに、私の愛が何だというのでしょう?
イダマンテ こんな辛いことがあろうか?
イリオーヌ あなたには恋敵がいます。
イダマンテ 恋敵?なんだって?そんなことがあるのか?
そんなことを聞かされるとは。いったい誰が、あなたの心をめぐって私と争うというのか。
ただではおかぬ…
イリオーヌ ただでは済まないのはあなたのほうよ。
 
イダマンテ もしや、それは父王のことか!
イリオーヌ その通りよ。
イダマンテ あなたも酷い人だ、非道な王め、私にどうしろと?
…ああ、もうだめだ!
私の命は彼から与えられたもの。その彼が、私からイリオーヌを奪うのか。
私に与えてくれた以上のものを、残酷にも私から奪い去るというのか。
一緒に 何という苦しみ、痛みだろう!
ああ!この美しき結ぼれが断ち切られなければならぬと?
イリオーヌ 王がこちらに来るわ。
真実の名において、私の思いを汲んでくださるなら、
ご自身の身を危険に晒すことはどうかおやめください。
 第3場
(イドメネとイダマンテ)
イドメネ おお!どうしたことだ?我が息子がネプチューンの神殿にいるとは!
王子よ、ここで何をしている?立ち去るのだ。
我らの不幸の元凶たる神が、余の請願ゆえに慰みを求めている。
イダマンテ 神々のご慈悲を信じて、私はここにいなければならないのです。
 
イドメネ いや、だめだ。みすみす生贄となるために留まるなどと。
行け、早く、急いで。
 
イダマンテ 陛下、私は行きません。
ああ、あなたは私の父上です。私をそんな哀惜の目で見るのですね。
また、私のもとから去ろうとするのですね?
私が父上を怒らせたのでしょうか?
私の何がいけないと?私が何をしたというのです?
 
イドメネ 息子よ、神は余を憎悪の的にしている。恐怖で心が凍りつきそうだ。
お前が余に向けてくれる優しさが、ただ余の苦しみを増やすのだ。
〔独白:ネプチューンよ、ただこの私の上にだけ、その拳を振り上げよ…〕
 
イダマンテ おお、何故だ!
 
イドメネ お前を見ると、恐怖で震える。
イダマンテ やはり私が怒りを買わなければならないのか?
 
イドメネ お前がいないところでなら、あやつを納得させられるかも知れぬのに。
 
イダマンテ いったいどうして?…
イドメネ 命令だ、行け。
 第4場
(イドメネ、ネプチューンの司祭たち、イドメネの従者たち)
イドメネと司祭   おお、ネプチューンよ、
  我らの捧げものを納受されたまえ、
  しかしてその怒りを鎮めたまえ。
 
イドメネ   永遠に続くと思われた嵐も、
  もう波をかきまわすことはない。  
  海の逆巻きが鎮まれば、
  お前は風神をもといた洞穴に戻すだろう。
  そして海は凪ぎに休むのだ。
  それでもまだ、我らに怒りを向けるのか?
  見よ海の、その穏やかなる様を、
  我らの熱意とまことを。
イドメネと司祭 (さっきと同じフレーズを繰り返す)
合唱 (背後から)
  大勝利だ!不死の栄光を奪い取れ!
 
イドメネ どうしたのだ?この勝利の雄叫びは?
 
 第5場
(アルカスが加わる)
 
アルカス 悲しみを抱きながらこの地を去ったあなたのご子息は、
自らの命を顧みる事なく、凶暴な怪物と戦い、ついには打ち負かしたのです。
イドメネ おお、誰がそのようなことを許したのか。
ネプチューンよ、余の祈りを聞き届けてくれるか?
 
アルカス 全てのクレタの民は、この勝利を祝しております。
 
 第6場
(イドメネ、アルカス、クレタの軍楽隊、男女の羊飼いたちの歌と踊り)
合唱   勝利だ、不滅の栄誉を奪い取れ、
  勝利だ、我らが英雄よ、
  我らの平和は、ただそなたのみによる。
Musette
二人の羊飼いの女   我らの笛の音に飛び来たれ、
  飛び来たれ、美しき愛よ、
  平和を以てかしこを治めよ。
  ただ平和こそが、その矢を以て知らずのうちに、
  我らを悩ますことが出来る。
第一の羊飼いの女   お前の引き起こす悩みは、決して我らを脅かすことはない。
  何故なら、静けさはこの心をかき乱す気がかりほどには魅力的ではないのだ。
二人の羊飼いの女 (前段のフレーズを繰り返し)
Rigaudons
Premièr et Deuxième Menuets
 
第一の羊飼いの女と
合唱
  平和と静けさが、我らの町に憩う。
  我らは委ねよう、宮廷の絢爛を求める者に、
  この杞憂を持て余す心を。
  幸なるこの後退のなかで、
  我らの心は愛の神を喜ばせるものを探し求めるのだ。
 
第二の羊飼いの女と
合唱
  野心に駆られた魂は、愛のうちに憩うことはない。
  気まぐれな幸運の女神に、
  彼をしてその望みを差し出させよ。
  愛に与ることは出来まいが、奴隷にはきっとなれるだろう。
Premièr et Deuxième Passepieds
イドメネ ネプチューンはその怒りを鎮めたもうた。
もう大丈夫だ。さあ、この不幸な愛をこえていこう。
余の息子の喜びへと、彼の望む方へと。
愛する者らは、さらに遠くへと道を進むのだ。
王たる者は、ただ己の血を以て誓いに殉じよう。
彼に、その掟に従うことを止めさせるのだ。
我が息子は、この場にあって、大いなる支配者として安寧を約束されるに違いない。
何と喜ばしきことであるか!この永き平和を楽しめるならば!
偉大なる神々よ、満たされよ、そしてその憎悪を鎮めたまえ。
余のもたらす生贄によりて。
 
第5幕
(イダマンテの戴冠式。中央には天蓋に覆われた玉座がある)
 
 第1場
(エレクトルとイダマンテ)
エレクトル それじゃあ、本当なのね、あなた、あなたの父上が怒りを収めたのね?
あの方は、あなたに絶大な力を渡すわ。それ以上のものも。
あなたのために、望みを叶えるために、自らを犠牲にすることも。
 
イダマンテ   私たちは公正な絆で結ばれている。
  何ものも、この愛を挫くことはないだろう。
  いままで誠実でいたから、今日のこの喜びがある。
 
エレクトル そうよ!だから私はもうだめなの。
私には、もうこんな忌まわしい事を堪え忍ぶなんて出来ない。
 
イダマンテ どうしたというのか?
エレクトル 酷い人ね、あなたが私を前にして言った言葉は、私への死の宣告になるわ。
あなたを愛しています。今こそそれを言うべき時。これ以上、何を恐れることがありましょうか?
死ぬ覚悟はできています。
私は勝手に思い込んでいたのだわ、薄情な恋人さん、立ちはだかる壁があなたの恋を阻んでくれると。
けれど、勝ち誇ったあなたの奴隷は、惨めにもこの私を侮辱したのよ!
ああ!その女の忌まわしい栄光の証人なんかにならずに、この命を終えてしまおう。
あの女を地獄の暗闇に引きずりこみながら!
イダマンテ 何て恐ろしいことを言うんだ!
エレクトル いっそ言ってあげるわ、愛の言葉を!
ああ!この怒りを以て、私の愛の大きさを知るがいい。
王子よ、いったい他の誰が、この心の内の秘密をあなたに伝える事が出来るでしょう?
そうよ、そうなの、あなたは、あなたを最も愛している者を愛そうとしない…
〔独白:もう私の話など聞いていないのね〕
(イダマンテに)
いいこと、覚えておくのよ、王はあなたの恋敵。嫉妬から怒りに火を着けぬよう用心なさい。
ネプチューンは彼の怒りの炎を再び煽ることだって出来るわ。
私は彼の助力を請いに行くとしましょう。
その公正な怒りで、来たるべき婚礼に不運が襲い掛かり、
お祝い騒ぎのその場が、私の敵の見ている前で、恐ろしい惨劇に変わり果てるのよ。
イダマンテ 何て恐ろしいことを、いったいどうして!
おお、破滅への意志よ!なぜ怒りをぶちまける?
おや、王女がやってくるぞ。
 
 第2場
(イリオーヌとイダマンテ)
イリオーヌとイダマンテ(一緒に)   ああ、再びこうしてまみえようとは!
  愛の神様は私たちに喜びを約束してくれた。
  ただ喜望のなかでそれを感じ、
  この心は涙で報われる。
イダマンテ   私は栄光の玉座に昇ろう、
  甘き希望は私に至高の幸福をもたらす。
  愛を抱くだけで、じゅうぶんに満たされるのだから。
 
イリオーヌとイダマンテ(一緒に)   愛し合おう、互いに。
  黄泉の国にまでも、この愛を携えていこう。
 第3場
(イドメネ、イリオーヌ、イダマンテと人々)
イドメネ 民よ、最後に余の命令に従ってほしい。
余は今を限りにこの玉座より降り、愛する息子にこの座を譲り、汝らの王とする。
私の代わりに治めてくれることが、余の望みだ。
(イリオーヌに向かって)
余はさらにこう付け加えよう、誉れある者よ、王女よ、余の愛は無限だ。
つまり、余は息子に、余の目に適った更に偉大なるものを授けるのだ。
イリオーヌとイダマンテ 陛下に栄えあれかし、万歳。我らの喜びは極まれり。
あなたは我らの愛に戴冠してくださった。
イドメネ 愛する人よ!…私は息子に約束した。そして悲しんでいる。
余の心は、喜び、呻き、苦しんでいるのだ。
あなたの国からあなたを引き離してしまったのだから、嘆くことは許されるだろう。
(人々に向かって)
  汝らを治めし、この英雄を祝福するのだ。
  その声を、歌声を以て、
  この場に響き渡らせよ。
  余は幾度も繰り返そう、全てよし、と!
(合唱が反復し、イドメネもまたそれに合わせて歌う。
人々は喜びの踊りを舞う)
 
Passacaille, Premièr et Deuxième Bourrées
クレタ人の乙女   光り輝ける誉れよ、魅惑の愉悦よ、
  お前は二つの愛に戴冠する。 
  そして彼らの希望をいや増すのだ。  
    愁いとため息の後に来たる安らぎよ、
    彼らの愛をより確かなものたらしめよ。
(前段を繰り返す)
 
(イドメネは、自らの王笏と王冠を下に置く。アルカスがそれを取って、台座の上に載せる)
イドメネ (イダマンテに向かって)
お前の手に、これらのしるしを託す。
お前の勝ち誇った徳の行いは、この偉大なる玉座の輝きを支えるだろう。
さあ、ここに来て座すが良い。
(イドメネが、まさにイダマンテを玉座に導こうとしたその時、
不気味な物音がして、ネメシスの声が響いた)
この恐ろしい音は何だ!
 
 第4場
(ネメシスが地中から現れ出る)
ネメシス 愚かにも海神に盾をついたのはお前か。
その怒りを宥めることが出来たとでも思っているのか?
このネメシスを見よ。神々はその復讐のために私を遣わせたのだ。
さあ、宇宙よ、恐怖のなかで、その甚大なる力を思い知るが良い。
(ネメシスが地の世界へ戻ってゆく。
玉座は砕け、怒りの神々はそれを覆っていた天蓋を持ち去ってしまう)
 
 最終場
イドメネ 我が心に再び火がつき、不安が包み込む。
毒が私を焼き尽くすようだ。!
余は何処にいるのか?
余の眼の前に横たわっているものは何だ?
玉座は粉々だ!あの雷に撃たれたのだ!
稲妻が宙を切り裂いてゆく!
その三叉槍の一突きで、ネプチューンは、この大地を引き裂くのだ!
無慈悲な神よ、お前はまだ冥府の王のままなのか?
メウメニデスを召喚したな!余の目には父親殺しの集団が見えるぞ!
毒蛇よ!松明よ!いななきよ!そして炎よ!
ステュクスの娘たちよ、余を導くが良い、付き従おうではないか。
その冷たく恐ろしい怒りに。
イダマンテ おお、神よ、もう終わりにしてくれ。
イドメネ   如何なる力が、余をこの海辺に誘ったのか?
  ネプチューンの怒りを鎮めんがために、大いなる生贄を献ず。
その生贄が、花々で飾られているのが見える。
司祭よ、止めよ。怒れる神々を宥めるために血が流されるのは余のせいだ。
彼の死が、必要なのだ。
イリオーヌ (イダマンテに向かって)ああ!逃げて頂戴。
イドメネ 死の恐怖に呑まれて、生贄が祭壇から逃げ出したぞ!無駄なことをするな…
(王は息子を追いかけ、狂乱に駆られて殺してしまう)
 
イリオーヌ やめて!…狂っているわ!
イドメネ (舞台に戻って来て)
神の怒りはおさまった。狂気も過ぎ去った。
我が息子を探させよう。
ところで、この手に持っている武器はどういうことだ?
俄かに不安が襲ってくる。
(イリオーヌに向かって)  
そこにいたのか…
イリオーヌ 無残な。ご自分が何をしてしまったのか、お分かりでしょうか?
イドメネ 余は取り返しのつかぬことをしてしまった!いったい何ということを!余も後を追おう!
(彼は自らの剣で自刃しようとするが、イリオーヌがそれを奪う)
こうするしかない…、おお!死なせてくれ。何故邪魔をする?
 
イリオーヌ 罰を受けて頂くためですわ。そのために生きて頂きます。
このうえ死ぬのは私一人で十分です。
終わり
  
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