ヴィヴァルディ作曲『テンペのドリッラ』について
ヴィヴァルディのオペラ活動が本格的に始動するのは、1713年にサンタンジェロ劇場の共同支配人(もう一人は、フランチェスコ・サントゥリーニという人物で、入場料の値下げ改革をおこなって、劇場を一般市民にも開放した人物として知られています)となってからでした。高名なオラトリオ『ユディータの勝利』や、オペラ『ダリウスの戴冠』など、いくつもの大作を矢継ぎ早に発表、上演して、ヴェネチアオペラの代表格に昇り詰めます。
その後、ヨーロッパ各地を旅行するために、いったんはサンタンジェロ劇場から退きますが、1726年、ヴィヴァルディ48歳のときに、再びサンタンジェロ劇場の興行主として返り咲き、そこで最初に上演したのが、このオペラ『テンペのドリッラ』でした。
オペラ作曲家としての名声ゆるぎない、ヴィヴァルディ円熟期の傑作と言えます。
テンペとは、テッサリアにある地名。ある時、この地が獰猛な大蛇の怪物ピュートンに襲われそうになります。神託では、この危難を避けるために、国王アドメートの王女、ドリッラが生贄として捧げられなければならないと示されます。理不尽と悲しみのうちに、迫りくる怪物に身を捧げようとしていたドリッラでしたが、そこへ羊飼いノミオに身をやつした神アポロンが現れて怪物を倒し、ドリッラの窮地を救い、国王アドメートの信頼を得ます。ノミオ(実は神アポロン)はドリッラに恋心を抱いていたので、自らの英雄的な功績の褒賞として、ドリッラとの結婚を要求し、アドメート王もそれを認め、娘であるドリッラにノミオとの結婚を命じます。しかし、ドリッラにはひそかに愛を誓い合った、エルミーロという羊飼いの恋人がいました。ノミオに感謝はすれど、父親アドメートから執拗にノミオとの結婚を迫られたドリッラは、ついにエルミーロと出奔する挙に至りますが、ノミオによって捕らえられ、二人はアドメート王の前に引き出されます。激怒したアドメート王は、エルミーロに死刑を宣告します。しかしドリッラもまた、自分も生きていられないと言って、河に身を投げてしまいます。その様を目の当たりにして、驚きと悲しみに包まれたアドメートとエルミーロですが、そこへアポロンの姿に戻ったノミオが姿を現し、ドリッラを救い出して、二人のもとへ返します。ドリッラへの恋が報われぬと悟ったアポロン(ノミオ)は、身を引くことを決意し、ドリッラとエルミーロの結婚を許すよう、アドメート王を促し、大団円となります。
さらにこのオペラでは、エルミーロに心を寄せる妖精エウダミア、そのエウダミアを追いかける羊飼いフィリンドといった脇役たちが登場して、恋する者と思われる者、求める者と求められる者の確執が重層的に描かれていきます。
すじとしてはありきたりな内容ですが、アポロンとダフネの物語を連想させるところは面白い設定ですし、なにより登場人物それぞれが抱く葛藤を表現した歌詞がなかなか秀逸で、登場人物の感情の世界をじゅうぶんに味わうことが出来るのは特徴でしょう。
台本作者は、ヴェネチア生まれのアントニオ・マリア・ルッキーニ(1690‐1730)です。彼はヴィヴァルディの他のオペラ作品(『ティエテベルガ』1717年、『ファルナーチェ』1724年)以外にも、『アルゴのジョーヴェ』(ロッティ1717年、ヘンデル1739年、グラウン1747年)、『偽りと裏切りの愛』(カルダーラ1720年)、『エルメンガルダ』(アルビノーニ1723年)など、多くの作曲家に台本を提供した作家でした。一時期、ドレスデンの司法書士として活躍した時期もあったようですが、結局はヴェネチアに戻り、台本作家として生涯を閉じたようです。
さて、この作品は、初演以後、幾度かに渡って繰り返し上演されていますが、当世の聴衆の好みを反映してか、その都度改作されています。いくつかの曲が削られたり、追加されたりましたが、ヴィヴァルディ以外の当時の流行作曲家たちの人気アリアを取り込み、パスティッチョ・オペラとなっています。
参考までに、ヴィヴァルディ以外の作曲家によるアリアを列挙します。
第1幕第1場 エルミーロのアリア
「愛の甘さがこの僕を包み込む」ヨハン・アドルフ・ハッセ作曲
第1幕第7場 エルミーロのアリア
「強い心で立ち向かおう」ヨハン・アドルフ・ハッセ作曲
第1幕第9場 フィリンドのアリア
「抜け目ない猟師は網の名人」ジェミニアーノ・ジャコメッリ作曲
第2幕第2場 エルミーロのアリア
「僕は自由になりたい、この囚われの魂から」レオナルド・レーオ作曲
第2幕第5場 アドメートのアリア
「それでもお前が余に盾つくならば」ドメニコ・サッリ作曲
第2幕第7場 ノミオのアリア
「だったらどんなにうれしいことか」ジェミニアーノ・ジャコメッリ作曲
第2幕第9場 フィリンドのアリア
「お呼びじゃないのさ、そんな傲慢な女など」ジェミニアーノ・ジャコメッリ作曲
第3幕第7場 エルミーロのアリア
「僕の愛はもう安らぐことはない」ヨハン・アドルフ・ハッセ
当然のことながら、すべてがナポリ派の作曲家の手によるもので、たたみこんでゆくような感触のあるヴィヴァルディの音楽づくりとは異色の、連打和音の醸す軽やかな色彩や、ドラマチックな歌心ある旋律が楽しめます。もちろん、ヴィヴァルディ節の効いたアリアも聞きごたえのあるものばかりです。
あの有名な合奏協奏曲『和声と創意の試み』(Il cimento dell'armonia e dell'inventione) 作品8の第1曲にある「四季・春」のフレーズが合唱曲になっているのも驚きでした。
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